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だから、遠藤の胸は喝采で打ち震えていた。 一度は自らの手で断ち切った、二度と巡ることのない機会が、再び巡ってきたのだ。 貸付金1000万に対し10分で3割の複利…暴利もいいところ…なんてもんじゃない。 切羽詰った状況下でそんな無茶な借用書にサインさせる…確認しなかった本人が悪いとはいえ、また相手が悪徳金融業者とはいえ、一時的にしろ信頼関係が出来上がっていたと思っていた側からすれば、ひどい裏切りだ。 だが、切羽詰っていたが故、遠藤にしてもこれは賭けだった。 噂に聞く地下労働はまさに地獄。そんなところに堕とされるなんて、たまったもんじゃない…それはまごうことなき本音。だが、心の一番深い部分は確かに甘く疼いた。 八代亜紀の歌のように憎い恋しいを繰り返した心の内は、自分で地下に突き落とした男が戻ってきた時点で、それが恋情であることを自覚してしまった。 諭されるまでもなく、望みに向かう人生なら、地獄行きもまたありだ。それも愛する人が傍らにあれば、どんなところでも天国に限りなく近い。 …だが、甘い蜜の香りのする花には必ず虫がたかるように、遠藤の意中の人には、必ず悪い虫がたかりまくる。羽虫、小蠅、アブラムシの類ならまだいいが、未知の病原体を携えてる凶悪な未確認生物レベルのヤツまで寄ってくるのでタチが悪い。しかも『花』はどうしようもない病気持ちだ。 激烈最悪の条件下での労働ならまだしも、絶えずそんな悪い虫の心配やら、当人がまた、いつ『悪い病気』を出すかわからないのだ。もし仮に、地上で悠々自適に蜜月を迎えることができるとしたら、それに越したことはない。 遠藤は賭けた…少ない勝率、『沼』での大勝に…そして、大勝の果てにあってなお、彼の仲間の開放分には不足するよう、小細工をして。もしそうなった場合、大甘の善人は仲間を開放するために、再度自分に、不足分の借り入れを申し込んでくることを、遠藤は確信していた。 地下労働は本気で嫌だった。だが、思いのほか早く消化される玉と、一条の小細工、どうにもならない展開に、表層的な嘆きとは裏腹、この世の底から延びる誘惑の蔦に、遠藤の心はとらわれる。 悪魔の台の前に今は儚くしがみつくだけような後ろ姿…この男ははっきり言ってつれない。悪徳高利貸しの俺には何をしても許されると、心のどこかで思っている。でも、自分が原因で一緒に沈んだとしたら話は別だ。給料日のビールしか楽しみのない世界だとしても、彼はそれ以外にもすべてを自分に捧げてくれるだろう。 自分はなにもかもを失い、それと同時にすべてを手に入れる…普通に考えれば最悪の状況でさえ、自分は勝者以外の何者でもない。ならば… すべてはうまく行くかに思えた…邪魔さえ入らなければ! 職業意識が欠落しまくっているガードマンが降らせた諭吉の雨でそれは叶わず、結局、真の意味で遠藤は賭けに負けた。 実際、工作金の金額を上乗せした上で、借用書を改ざんすることも、しようと思えばできたのだ。 だが、これも宿命…所詮、男が男に執着することが間違いの始まり。 元々、脂の乗った艶やかな熟女との割り切った関係ってのが好みだ。ヤツとかかわってからの自分が間違い…出会わなかったと思えばいい。最初からなかったことだと。 でも、楽しかった… 天国と地獄を行ったりきたりのジェットコースター…衆人環視、熱狂の坩堝の中にあるのに、あの時は確かにこの世でたった二人きり。 地獄堕ちの絶望で目がくらみ、世界がゆがむ感覚の中、二人一緒に限りなく堕ちてゆく昏い歓びも、胸の奥底では感じていた。 煉獄のど真ん中で味わった、ある意味天上の美酒。きっと、あれ以上の至福の時は、もう二度とあるまい。 「これから先はヤツ曰く『半ボケの人生』ってやつかもな」 遠藤はヤツ…伊藤開司の言葉を思い出し、自嘲気味にククッと喉を鳴らした。 一般的に見れば充分デンジャラスな刺激にあふれた日々…だが、彼にとってはごく当たり前の日常に、遠藤は帰ってきた。だが、刺激という毒薬を得る機会を、今再び、彼は手にしたのである
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